「石と古本 石英書房」の日々

お店の最新情報と、石や本、お散歩その他、店主の好きな物事について綴ります。

第二回「新解さん」読書会・その二

「古本 石英書房」の今後の営業予定については、お手数ですが
前のブログ記事をご参照下さい。6月25日です。


明日30日(土)は都合により休業させていただきます。
ご了承下さいませ。



では、前回の続きです。


話題の多くの部分を占めた点の一つに、「新解さん」という人物が垣間見えるところ
というのがありました。
食べ物の好みでもその片鱗が窺えましたが、ときにかなりはっきり・ばっさりと
表現しようとしています。


*凡人  自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、
     他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人。〔家族の幸せや
     自己の保身を第一に考える庶民の意にも用いられる〕


これは7版です。5版までは括弧内は「マイホーム主義から脱することの出来ない
大多数の庶民の意にも用いられる」となっています。なかなか手厳しいです。


そこで、関連して


*庶民  特別の地位・資格・権能などを持たない、一般の人たち。〔特に資産は持って   いないが、健全な勤労者を指す〕


これも7版ですが、かつて3版では以下のように書かれていました。


     名も無く金も持たない、一般の人たち。〔特に、財産は持っていないが、健全   な勤労者を指す〕


お金の有無に更にこだわっていたようです。
漠然とですが、自らとは違うといった上からの目線が感じられるように思われました。
それを裏付けるかのように感じられるのが、同じく3版の「団地」です。


*団地  住む家のない庶民のために、一地域に総合的に建てられた・公営(民間)の
(3版) アパート群など。〔広義では、一か所に画一的に建てられた一戸建てなどの
     建売住宅群をも指す〕


更に、用例の「団地族」は、「団地に住んでいて、サラリーマン家庭独特の小市民的な
マイホーム意識を持っている人たち」と説明しています。うーん。
 私も昔団地住まいだったのですが・・・。


4版になると、上記に加え、先頭に「同種の建物・産業を立地させるために開発された、
一団の土地。」という意味が入ります。
そして、6版では前述の「住む家のない庶民のために」が
「多くの人に住む家を供給するために」と変わっており、徐々にトーンダウンしています。


社会の状況も変化し、新解さんの中で認識が変わっていったのでしょうか。
皆さんの中では、「身内に団地に住む人が出来たのだろう」という仮説も出ました。
妙に説得力を感じてしまいます。




庶民だけでなく、商人に対しても厳しい見方をしていたようです。


*商魂  どんな機会でも見のがさず、もうけてやろうという商人特有のあくどさ。(4版)


ところが、5版では「あくどさ」→「貪欲さ」と変わり、更に6版で変化が。

 
*商魂  商売する以上は常に利益をあげることを第一とすべきだとする、商人に求められる心構え。(6版)


7版も同じです。これについても、「身内に商売をする人が出たのでは」、
「身内が商人の嫁に入ったのでは」という意見(?)が出ました。
そして、「その人の住まいが団地だったのでは」とも。
勝手に新解さんの家庭環境を設定してしまっていますが、一同はかなり確信に満ちた信憑性を感じるのでした。 




新解さんは、次第に老いも感じているようです。
6版で登場しました。

*発毛  一度失われた(かのように見える)頭髪を再び生育させること。「――を促す作用 / ―剤」
  

( )の中が光ります。
   ※新解さんは、このように( )内でピリリとしたことを述べることも多いです。
    夏石さんは、そこに焦点を置いた調査記録も集めておいででした。
    その例なども伺ったりして、話題は常に広がっていきます。
    切り口がたくさんあって、飽きることがありません。




年齢への感情は、用例にも表れているようです。
※語釈は省略します。


*ちゃんちゃらおかしい  用例「五十をすぎてプロのゴルファーを目指すなんて――」
*立派  用例「七十歳を過ぎてパイロットの資格を取ろうとは、ご立派なことだ」


   お詫び・「六十で・・・」というのも確かに存在したのですが、付箋を付けたつもりが
       見当たらず、いまだに再発見できずにおります。
       引き続き探しますが、私より早く発見された方、ぜひご教示下さい。
       7版の辞書です。


並べると笑いが込み上げてきます。
一般的な年齢をわきまえた行動を好ましいと考えているらしい新解さんが浮かんでくるかのようです。
世の規範を大切にする、真面目な方、といった印象を受けました。





私達は、けっして「新解さん」を笑い物にしている訳ではありません。
親しみと共に敬意を抱いています。だからこそ、ずんずんと深く入り込んで
いきたくなってしまうのです。



7版の初めに「新たなるものを目指して」という、初版・第二版の序文が
掲載されています。


  思えば、辞書界の低迷は、編者の前近代的な体質と方法論の無自覚に在るのでは
  ないか。先行書数冊を机上にひろげ、適宜に取捨選択して一書を成すは、
  いわゆるパッチワークの最たるもの、所詮、芋辞書の域を出ない。その後の
  指す所のものを実際の用例について よく知り、よく考え、
  本義を弁えた上に、広義・狭義にわたって語釈を施す以外に王道は無い。
  (新明解国語辞典第七版 3ページ、序より)



笑いを誘うものも多々あっても、それは真剣な考察から生まれたもの。それがよく分かる文だと思いました。



この考えを、語句の用例でも挙げていました。
「のる〔乗る・載る〕」の語釈の五、「〔新聞・雑誌などの〕記事になる。」の用例です(7版)。


   国語辞典に日常語ののって〔=収録して〕いないのには驚く」


“我慢ならないことだ”といった強い気持ちを感じました。




辞書の中の興味ある部分を探していくことが、大袈裟にいえば人間の
生き方考え方を追うことになっていることにふと気付きます。
一人で作業しても面白いのですが、皆で話すと更に楽しいのは
思いもよらない新しい発見があったり、聞いて語ることで自分の経験を
改めて振り返ったりできるからではないかと思います。
案外低いハードルでそんな経験ができてしまうのです。



もう一回程、まとめ的に綴らせていただく予定です。
引き続き長々失礼致します。




     

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